突然ですが、本日から不定期更新シリーズとして
宝塚版『ファントム』全作レビューを連載していきたいと思います。
本日は、その序章にして本論と結論を一緒に書き、
その後に歴代公演4作のレビューを掲載していく予定です。
なぜに不定期なのかと言えば、
前回の『95期生 Best Acting Selection』と同様、
自分が途中で飽きるかもしれないという保険のためです。笑
序論:四者四様のエリック像に思う
なぜ突然『ファントム』全作レビューの執筆を思い至ったかと言いますと、
現在スカステで放送中の『ファントム』連続放送にて
私は初演の宙組版を初めて拝見したのですが、それはもう衝撃的でして。
後に続く春野版、蘭寿版、そして望海版『ファントム』とは
はっきり言って全く違う作品に感じられたのですよ。
そしてよくよく考えてみると、
主役たる歴代エリックたちは演じたトップスターたちのスター性を映し
まさしく四者四様、全く違う人物像として表現されていると
今更ながら気づいたのでした。
こう書くと、それはもちろん当然のことのように思いますけれど、
とはいえそれは結構なレアケースだったりします。
なぜなら、偉大なる超大作であればあるほど、
原典・初演版の演出に引きずられたり、
あるいは全く違う人物像に無理やり作り変えようとしたり等、
舞台人としての「もがき」が大きく出てしまうからです。
例えば、平成宝塚の代表作『エリザベート』のトートは良い例で、
後に続く8名のトップスター&新公主演者は、
初演版の一路トート像(不気味・ナルシズム)か
再演版の麻路トート像(人間味・シシィを愛している)の
どちらかに軸足を置くかが前提にすらなっていることからも分かると思います。
その意味で、和央、春野、蘭寿、望海と
全く違うエリック像が形作られていることは非常に興味深い事象であり、
「そこから何が見えるのか」を考えてみたいと思ったのが、
今回の全作レビューの始まりでもあります。
本論:『ファントム』は宝塚の時代を映す
本記事では最初に結論までを全て書いてしまおうと思っていますので
しょっぱなから「まとめ」に向かって書きます。
『ファントム』という作品を振り返るとき、
それは宝塚の時代を振り返ることと同義だと思うのです。
各公演の詳細については、
次以降の記事で書いていきますけれど、
それぞれを簡単な見出しでまとめていくと以下の通り。
2004年宙組公演・和央&花總版
→ 宝塚古典主義的トップコンビの愛のシンフォニー
2006年花組公演・春野&桜乃版
→ 男役というナルシズム的虚像の奔流と親子愛
2011年花組公演・蘭寿&蘭乃版
→ 前理事長・小林公一時代の宝塚暗黒期の結晶
2018年雪組公演・望海&真彩版
→ 新たな局面を迎える宝塚的エンターテイメントの創造
…なんか仰々しくって我ながら厨二っぽいですね。笑
本論はそんな小難しいことを書く予定はありませんが、
小見出しでまとめるとこんな感じでしょうか。
詳細は次回以降の更新にて!!
結論:『ファントム』全作レビューの総論
もしかしたら一部の方は
「どうせ新参者のライトファンだから望海主演版を誉め殺すんだろ」
とお思いになるかもしれませんけれど、実はそうでもありません。
というのも、実は私が一番好きで最も見返す『ファントム』は
2006年花組公演の春野主演版なのです。
思うに、この『ファントム』という作品は
初演の和央版が最も宝塚的虚像の美が映し出された作品だと思います。
「トップコンビの愛の物語」を宝塚的美意識で構築したファンタジー。
そこに圧倒的な歌唱力や芝居力はいらない、
2人だけの愛の物語が紡がれればそれでいい、という世界観ですね。
ただそれは非常に内輪的で、
その世界観を愛せる人、もしくは和央率いる当時の宙組ファン以外に
訴求力があるかと言われたら、激しく微妙だと思います。
(とはいえ当時はそれを求める宝塚ファンが多かったからこそ「ゴールデンコンビ」と呼ばれ大人気だったわけですが。)
その真逆のベクトルを走ったのが、望海版『ファントム』。
物語の鍵となる「歌の力」を表現するに相応しいトップコンビによる公演、
かつ演出も衣装も宝塚の叡智と財力を結集した本気作。
そして「いつかファントムを演じたい」と願った2人が公演するという
バックグラウンドまで完璧にプロデュースされたエンターテイメントという
新時代の価値観を有する作品でもありました。
が、初演版の世界観を愛するような人たちからすれば
「こんなものは宝塚ではない」と断じたくなる気持ちも、
分からないではないほどの振りきり方でもあります。
その意味で春野版『ファントム』は
そのどちらの価値観もちょうど良い塩梅で内包した
バランスの良い公演だったんじゃないかなと個人的には思っています。
…蘭寿版ですか?
ごめんなさい、論外でしょう。笑
もちろん出演者に何の罪もありませんが、
あれはプロデュース時点で負けというものです。
こう振り返ると、本当に四者四様の『ファントム』ですね。
最後に「当然の諸注意」を簡単に
最近はこの枕詞を書かないようにしていたのですが
ちょこちょこツッコミを頂くようになったので改めて書きます。
当ブログは、執筆者と管理人が個人的に運営しているサイトであり、
レビューというのは、得てして「個人の感想」です。
特に再演が多い作品は、それぞれにファンもいるでしょうし、
何よりも「思い入れ」という熱い感情があるわけですが、
それによって反論、批判等を投げかけられても
「そうですか、私達は価値観が合わないんですね」としか言えません。
どうぞただの素人の感想としてお読みください。
ということで、暇な自粛の日々に
めくるめく『ファントム』の世界とエリック像の変遷を辿っていきましょう。
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コメント
いつもブログを拝見しております。
私は和央+花總版のファントムがお気に入りで
よく観ていることが多いです(^^)
あの和央エリックの醸し出す儚げな雰囲気が
私のエリック像に一番しっくりきています笑
春野エリックも好きでよく観ていますが
朗々と歌う姿を観たくなってしまい…笑
演技だと分かってはいるのですが(>_<)
レビュー楽しみにしています(^^)
最後に…
いつも楽しく拝見しております!
「たしかに」と共感できる内容も多く、
「なるほど」と納得できる内容も多く、
感想を読んでから見直したいなあ…と
思う作品も多々あります笑
特に「20世紀号に乗って」の記事は
すごく感じたのですが
1度も観れなかったので残念でした笑
これからも楽しみにしています(^^)
オサさんのファントムいいですよね。オサさんの孤高のトップスターとエリックの孤独が重なって更にいい気がします!
いつも楽しく拝見させていただいております^ ^
蘭寿ファントムと望海ファントムは未見なのですが、
宙と花の印象は
和央ファントム
→エリックとクリスティーヌの愛の物語。安蘭シャンドン伯爵のことなんて微塵も好きじゃなかったんじゃなかろうか、花總クリスティーヌ…
春野ファントム
→桜乃クリスティーヌは春野ファントムのことを尊敬しているのみで
愛してるのは真飛シャンドン伯爵。
桜乃さんの初々しさや自信なさなどが良い意味で前半のクリスティーヌに合ってました
個人的にはビジュアルは宙、説得力は花という感じです
残り二つ、蘭寿ファントムは録画済み、望海ファントムもそろそろですよね?なので楽しみです!
蒼汰様
いつも楽しみに拝読しております。スカステ専科の地方民です。
蒼汰様のファントム上演史と宝塚の変遷についての論考、楽しみにしております。
個人的な思いを申し上げますと、そもそも初演をリアルで見た時から、なぜファントムがこんなにヅカファンに受けるのかわからない(汗)
いや、望海さんが超絶歌うまで、「歌うまは正義」であり、難曲を超絶技巧で歌い上げてすごい、というのはわかるのですが。
作家平野啓一郎氏が「カッコいい」とは何か」という本で、「粋な奴」とは
・異性に対するアピールはある が、
・自己卑下することなく、
・報われぬ思いには執着せずに あっさりしている人
と定義しているそうなのですがね。正塚センセ的宝塚の男役の粋、美学もこれに近い気がする。
最近、日本では劇団四季が独占上演しているアンドリューロイドウェーバー版が無料配信されていたので拝見したのですが、ウェーバー版は父親との関係も亡き母の面影云々のエピソードも無いので、
・クリスティーヌに対してアピールしすぎ、
・自己卑下しすぎ で、
・報われぬ思いにストーカー的に執着しすぎ(ウェーバーさん続編までつくっちゃった)
ロマンスよりサイコホラーの世界に近い気がする。
宝塚版ファントムでは父親や母親と音楽の絆で結ばれ~という、ファントムの背景を語る要素があるので、まだ哀れなロマンスとして見ていられるのですが、
でもやっぱり宝塚の代表作か、と言われると・・・少なくとも典型作ではないと思うし、宝塚の男役という虚実皮膜のギリギリを攻める世界観では異質だなあ、と思う。
なぜこんなにウケるのか、考察、楽しみにしております。
楽しみだなぁ。
オサエリックよかった。
直接関係ないのですが、蘭寿さん、もちろん素晴らしい男役スター様であることは否定しませんが、こと歌となると上手い下手以前に現代日本語では発音するはずの「H」音を必ず落とす、というクセが非常に気になってしまい…
蘭乃さんは声自体は悪くないのでアンチの方が口を極めて罵るほど酷いとは思わないのですが、このコンビで本格ミュージカルをやったのは確かにどうかです。。