前回は雪組『fff -フォルティッシッシモ-』の主に演出面について、
その素晴らしさについてベタ褒めしてきました。
前回触れ忘れましたけど、
狂言回しのヘンデル、モーツァルト、テレマンを
肖像画や銅像に立たせるというのも面白かったですよね。
【前回はコチラ】
【レビュー編はコチラ】
後半は、肝心なその内容についてです。
正直な感想を書いたので、
後半は少し辛口モード?になっております。
ヒロインが「謎の女」という選択
勝手な空想ですが、この作品は、
望海風斗に(ショパンでもリストでもなく)ベートーヴェンを演じさせよう!!
最後に第九をみんなで歌って大団円!!
ここまで決まってて、後どうする?
という前提から始まったんじゃないかと邪推します。
そしてもし、これまでの宝塚的美意識であれば、
ヒロインは朝月希和が演じたロールヘンにさせると思うのです。
ロールヘンことエレオノーレ・フォン・ブロイニングは、
ベートーヴェンの初恋の相手にして、親友の妻。
生涯忘れることのなかった女性であり、
史実では「帰って来て欲しい」と手紙を貰った直後に彼は亡くなってしまいます。
(3/15追記)事実関係に誤りがあったので訂正致します。
聴覚障害となり、絶望の底に居たルードヴィヒが、
最後に思い出したのは、彼女への尽きることのなかった愛。
それが「第九番」を作る情熱となり、
そして死した後、彼は天国でロールヘンと再会したのだった。
…みたいな内容、ありそうじゃん?
だけどそうしないのが上田久美子なわけですよ。
ヒロインは謎の女。
自称、「人類の不幸」。
彼女は常にルードヴィヒの側にいて、厄災を振りまいた。
「ただ幸せになりたかった」彼の近くで、高笑いするだけ。
だけど彼は、そんな不幸な運命に抗い、戦った。
不幸があったからこそ、それを跳ね返すように魂の音楽を作り続け、
そしてついに、不幸の先に「歓喜の歌」を生み出した。
「人類の不幸」は「運命」と名付けられ、
そんな彼女がずっと側にいたからこそ、
ルードヴィヒは「人生楽しかったー!!」とカタルシスを得て、閉幕。
凄 く な い ?
真彩希帆にただの儚いヒロインを演じさせるでなく、
ベートーヴェンの横に常に居た、相棒としての同志愛に帰結させる、
そしてそれで話を成立させるだなんて、やっぱり天才でしょ。
ということで真彩希帆に「謎の女」を配役したセンスに、
私は本当に脱帽でした、お見事!!
ウエクミらしからぬ作品
ところで、上田久美子作品の内容がなぜ宝塚ファンに受けるのか。
私は「分かりやすい愛憎劇」だからだと思います。
(本人の意欲作だった『FLYING SAPA』は除く。)
若く利発な男がいる。
美しく聡明な女性(人妻)がいる。
2人は強く惹かれ合い、抑えられぬ情熱が迸る。
だけどこれは道ならぬ恋。様々なものを得て、そして同時に失いながら、
恋が実らないという実り方をするか、
あるいは恋が実るという実らない結末を迎える。
美しい表現をするならば「滅びの美学」、
下世話な表現をするならば「メロドラマ」。
これが上田氏作品の大きな特徴ですが、今作にはそれが無い。
なぜなら前述の通り、ヒロインにロールヘンでなく、
「運命」を配することで、同志愛という表現に帰結したからです。
例えば同じ史実に即した音楽家たちの物語である『翼ある人々』は
結局のところ三角関係、もっと言えばありふれた男と女の物語で、
その他はただ話を盛り上げるためのアクセントでしかありません。
(そのアクセントすらも魅力的に見せるのが彼女の手腕。)
が、今作は違います。
ハッキリ言うと、舞台の大部分は
私が子供の頃に読んだ「マンガで読む世界の偉人シリーズ」で見知った、
ただのベートーヴェンの伝記なんですよね。
ウエクミっぽさを感じられたのは
開幕から夢白ジュリエッタにフラれるまでと、
中盤のペンじゃなくてパンのくだりと、
終盤の凍てつく精神世界で彩風ナポレオンと対峙して以降、でしょうか。
子供の頃は酷い家庭で育った…うん、知ってる。
ナポレオンに心酔して曲を作ったのに裏切られた…うん、知ってる。
リベラル思想家で社交界へ積極的に関わらなかった…うん、知ってる、みたいな。
だからウエクミらしい愛憎劇を期待した人たちは、
肩透かしを食らってしまうかもしれません。
しかも最後の第九場面でカタルシスを得るために、
中盤はひらすら暗い場面が長々と続くわけで、
初見さんは結構キツいかなぁというのが正直な感想です。
正直、メッセージが「重い」。
そしてもう1つ、私は舞台や映画を見る際は、
「分かりやすい話」が好きなので、
今作はメッセージ性を詰め込み過ぎたんじゃないかなとも思います。
人生の不幸は、言い換えれば運命であり、
だからこそ人はどんな苦境にも立ち向かうべきである。
それは私たちの人生であり、タカラジェンヌの人生でもあるからして、
ベートーヴェンの人生は望海風斗の宝塚人生ともオーバーラップし、
相手役である真彩希帆は、彼女と付き添った同志として存在する。
もうこれだけでお腹いっぱいじゃん?
退団公演として100点満点だと思うのですよ。
ここに啓蒙思想や市民革命の移ろいを描きながら
「戦争や政治でなく音楽(舞台芸術)こそが人々を幸せにする」的な
エンタメ産業において最も重いメッセージまで突っ込んでこられると
少し思想的な作品だなと個人的に思っちゃいます。
あと、彩風ナポレオンと精神世界の雪原で対面した際のくだり、
正直私には高尚過ぎて理解出来ませんでした。笑
いや、もちろん言ってる内容は分かるんですよ?
要は「ルードヴィヒの心に再び火が灯った」という雰囲気が掴めれば
問題無く次の場面に進めますしね。
だけど天下のウエクミ様なら、私のような凡人にも
もう少し分かりやすい表現が出来たんじゃないかと思うのです。
音楽は戦術と同じだーとか、突然のタタタタンとか、正直「?」って感じでした。
ま、ここに限らず全体的に難しい作品ですよね。
込められたメッセージの内容は素晴らしいと思いますし、
私自身も賛同する部分はありますけれど、
ウエクミらしい分かりやすさからは離れた作品だったな、
というのが総評ですかね。
「破滅」から「再生」へ
とはいえ、退団公演というのは結局のところ、
そのスターのファンたちが楽しいと思えればそれが正解だと思うので、
そういう意味では素晴らしい退団公演だったと思います。
最後のみんなに見送られての大団円なんて、
シンプルな舞台構成も相まって最高のカタルシスでしたし、
あんハイエナジーな場面、なかなか無いですよね。
(羽衣を蝶のようにバサッバサはためかせならが全力ジャンプする真彩希帆は必見です。笑)
そしてウエクミ的には、これまでの「滅びの美学」的作風から、
破滅の後の「再生」に焦点を当てたという点を考えても
意味のある一作なのかもしれません。
(『BADDY』とオチが一緒やんけというのは禁句です。)
望海風斗がベートーヴェンで第九でエンド、
ヒロインは敢えて謎の女で同志愛、
退団者たちには餞別としての出番をしっかり与えつつ、
彩風朝美綾あたりにも出番を振り、かつ話の整合性を取るようにする。
劇団付作家として120点の仕事ぶりでした。
というわけで長々とした感想は終わり。
キャスト別感想は…ほとんど書ききっちゃったから、
機会があれば、かな。笑
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コメント
蒼汰様
いつも楽しみに拝読しております。舞台演出を見ないでウエクミを語る無礼をお許しくださいな地方民です。
私はウエクミと同世代だと思うのですが、世代的に第九の「歓喜に寄す」といったら、年末の風物詩というより「ベルリンの壁崩壊の時に流れていた音楽」、欧州統合の象徴というイメージが強烈なんですよ。
で、「歓喜に寄す」は「欧州の歌」として認定されている。ナポレオンが言うタタタタン!の「4つの音」はEUの理念である「人・物・資本・サービスの移動の自由」のことかなあ?
ウエクミがfffの構想を練っていたであろう2018~2019年ごろは、コロナにより芸術が不要不急~というよりは、イギリスのEU離脱、トランプ元大統領の諸政策と、EUの理念を覆すような時代の空気があったわけで。
京大の仏文科卒のウエクミは、ひょっとしたらEUの根っこのフランス革命の理念的なものにシンパシーを感じていて、それが否定される風潮にノン!という主張がfffに透け過ぎたかなあ、と思ったり。
ウエクミは歌劇で、
「彼の曲は、とてつもないエネルギーと努力と時間を費やし並々ならぬ情熱のもと作られている」
「ベートーベンを題材にした映画などではだれが恋人だのやってるが、この音楽を1人の女性のために書いているはずがない」
「理想や社会への強い思い、男性的なものを原動力として成し遂げたのではないか。であるならば、誰を好きだったなど書いても意味がない」
「では彼にとって一番重要なものはなにか→真彩の役」
「不幸のデパートのような人生なのに、なぜ最後に歓喜の歌を書くことができたのか」と語っていました。
この解釈なので、いつもの?メロドラマはやれなかった、やりたくなかったんでしょうね。
私の感想は、NOW ZOOM ME!!で、次は貧乏じゃないよ!って言ったのに、やっぱ最後も貧乏だったじゃん!!でした(笑)
朝夏まなとがブラームスを演じ、ブラームスが敬愛したベートーヴェンを望海風斗が演じる。これだけでまぁだいファンとしては胸が熱くなります。
そしてやっぱり望海風斗は苦悩がよく似合っていたし、あれだけ歌ってくれたら大満足です。
ラストは不幸な運命(真彩希帆)を抱きしめて、笑顔で大団円で終わってくれただけで、観ている私も幸せだったー!と思いました。辛い運命に苦悩するベートーヴェンに加え、ナポレオンやゲーテがなにやら難しいことを言って、ある種のストレスがかかった状態から、一気に解放されるラストがめちゃくちゃ爽快というか…。
私のように深く考えなくても楽しめるし、皆さんのように深く考察しても楽しめる、作品の懐の深さがさすがウエクミだと思いました。
こんにちは。お久しぶりです。
こんちゃん様のコメントにビビビとくるものがありましたので。
私も卒業者への気配りと愛情以外に、構想で入れたものがあるとするなら終わりゆくEU=第9だと思いました。2020年がベートーヴェン生誕250年というのももちろんですが。
ナポレオンの「人モノ情報が自由に国境なく移動する」はEU提唱者のリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの唱えた汎ヨーロッパですよね。彼のお母さんは日本人で(正式に)初の国際結婚をした青山光子さん。小池先生も好きな時代(1920年のゴールデンエイジやハプスブルグの終焉など)ですね。
基礎に使う質のよいコンクリと装飾材料を豊富に持ちながら、宝塚的な出番・台詞配分、何よりも望海さんに皆が感謝する、それも客席一体となって歓喜のうちにお別れする作りにとても感動しました。サヨナラはこうでなくちゃと。勝手な印象ですが、上田先生は途中で拍手が入らないほうが好きかもしれません。当然、転換のためにカーテンは閉じません(荻田さんと同じ)。今回はそれを譲り、拍手のタイミングを自然に作っているように感じました。実はこの前まで上演されていたアナスタシアはもともとがよくできた作品でありながら、逆に制約を感じていました。BW作品は限られた時間で観光客に楽しんで帰ってもらうよう計算されているので、崩したりずらすと魅力を戻すには難しいと思います。fffは座付き作家が宝塚文法を守りながら、かつ空間を満遍なく使うという、宝塚の枠とポテンシャルと自由さを感じました。もちろんリスペクトも。大砲がドドーンとか、オケボックスなど、上田先生は派手な盛り上がりも作れるのがいいですね。かつ視覚・時空の立体的な構造も分かりやすいです。
真彩さんとの関係は生身の女性などという物理的制限があるものではなく、運命という、宝塚を超えたようで実はベタという(笑)ある時期までファントムと20世紀が「彼が彼女を育てる」で、これがこの2人の象徴かと思っていたのですが「共に作り上げる」が最後にきて、6作を通して物語のようで本当に素晴らしいです。
芝居ショーともに最後の瞬間まで望海・真彩さんと楽しみ、次期もよろしくね!という作りですし、雪組さんのパワーにあらためて感動しました。
いつもブログ楽しみにしております。急な”タタタタン”のくだり、蒼汰さんと同じ気持ちになりました。笑
しかしそれ以上に私的に飲み込めなかったポイントは「雲を耳に入れればいいんだー!」のところです。(真那さんは大好きなのですが)台詞回しも相まって、毎回えっ?!っとなってしまうんですよね、、笑 ルートヴィヒと天上界をつなぐ為、物語のちょっとしたお茶目さとしてのエッセンスなのはわかるのですが、ウエクミ先生ならもう少し上手く咀嚼できるような感じで耳が聞こえなくなる理由にできたのではないかなと。
それでもなんて素晴らしい退団公演なんだ!という感想に変わりはないのですが。
蒼汰さんはその辺りは気にならなかったでしょうか?機会があればお聞きしてみたいです。
コメントありがとうございます!
あそこはまた斬新な解釈だな!って単純にビックリしちゃいました。笑
難聴をだいぶファンタジーな表現してますよね。
個人的には雪原でモテたモテないの話をしてるところがトンチキやなぁって思ってみてました(褒めてます)。
いつも楽しく拝読しております。今回初めてコメントさせて頂きます。
蒼汰様のfff感想、ベタ褒め編も辛口編もほぼ同意しかありません。
私自身は配信含めて3回観劇しましたが、1度目配信を視聴した時は正直、「ラストは泣いたけど、結局なんだったっけ?」となりモヤモヤが残りました。
その後自分の中で台詞を反芻し、2回目に生観劇したらどっぷり入り込み、ルイ良かったねぇ~~!!と浄化されたような気分になりました。
しかし蒼汰様もおっしゃる通り、脚本も演出もメッセージ性も超ハイクオリティ、けど万人受けは…なかなかしないという作品ですよね。
やはり様々な客層が観に来る宝塚大劇場、さらにはチケ難とこの時勢で1回もしくは配信でしか見られない客も多い中、1度で万人が理解出来るストーリーをと批判されるのも分かります。
ただ、いち望海風斗ファンとしては、偉大な音楽家ベートーヴェンの生き様を描き切り、さらにラストは民衆と言う名の組子に愛され祝福されたフィナーレという最高の餞別を用意してくれた上田先生に感謝と同時に、あの難しいテーマを95分でまとめ上げ、さらに大勢の組子への的確な当て書きをも果たした演出家としての才能の高さにも感心しました。
いつもの美しいメロドラマ(褒め言葉)ではないことも含めて上田先生としても挑戦的作品だったでしょうが、課題はあるにしても座付作家として、そして退団公演としての役目はしっかり果たせたのではないかなと個人的にも思います。
才能の高さ故にかつての荻田先生がよぎる時もありますが…(^_^;)上田先生には「宝塚の」演出家として、これからも素敵な物語を書き続けていただきたいですね。
長文失礼致しました。
昨年、やっと当たったチケットがコロナで流れたのがショック過ぎて退団公演だし東京では観られないかも?と強行で今回は宝塚まで出向きました。何とか観れたもののお芝居は???で終わってしまっておりました。東京は奇跡的に東京でも観られてようやく少し咀嚼出来ました。哲学者から見たベートベンの物語と私的に解釈しました。何回も観られるならもっと奥深く咀嚼出来ますが、チケット取れないんだからもう少し分かりやすいものにして欲しかったと言うのが素直な感想です。集大成だし組子もたくさんいるし見せたいもの伝えたいものが盛り沢山だったんだなとは感じました。映画を見せられて後は皆さんの解釈で、、。みたいな感じもしました。宝塚で見た直後、ライビュを見ると言った友人に「宝塚と思って観ない方が良い、外部のミュージカルだと思った方が良い。」と伝えてました。
かと言って駄作を観せられたとは思わない。寧ろ良いものを観たと思ってます。不思議な作品でした。真彩希帆が望海風斗に取って運命の人だったと座付き作家も思ってるんだと解釈してニマニマしておりました。
蒼汰様
こんにちは、お久しぶりです。ヨーロッパの話題がでているので在住者として気になり、コメントを残したくなりました。ベートーヴェンの生涯を描いた作品なんですね。生で観てみたかったです。
歓喜の歌はドイツ、ドイツ人、ドイツに関わる人々にとっても思い入れの深い曲
だろうなと思います。第一次世界大戦後のライプツィヒでの演奏、1989年ベルリンの壁の崩壊後ユダヤ系アメリカ人指揮者バーンスタイン氏がタクトを振った「Ode an die Freiheit/自由への讃歌」(東西ドイツ、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、各国からの6楽団)、壁の崩壊からの翌年の東西ドイツの統合など。この曲は、戦火や困難のもとにあった人々のさまざまな思いを抱きながらもなお明日を望み、生きることを喜び讃える生命力に満ち溢れた印象があります。
こう書いていると観てみたくなってきました。
こちらはコロナと春の嵐で外出は容易ではないですが、皆様もどうぞご自愛ください。
私はハッピーエンドが好きなのですが、上田先生に限っては、星逢や金色や神々といったカタルシス効果を得られる作品も実は好きです。
それはただのメロドラマではなく、それまでの宝塚には欠かせない「愛してる」の連呼がなく、発する言葉と裏腹の心情を表現していたり、たった一言に全ての心情をのせていたり、観ている側の心の奥底に追いやっている言葉に出来ない不安やモヤモヤを涙とともに吐き出させてくれるからです。
そう言った意味で、フライングサパやfffは、来るぞ来るぞ!ときて、でも最後は大団円で……。どう自分の気持ちを収めたらいいか分からなくなってしまうのかな、と。だけど良かったやん、大団円でと自分を納得させてみる。
劇団四季のキャッツが、未だに意味不明な私にはなかなか難しかったですが、なんでしょうね、いい作品観たなと思える不思議。
蒼汰様
いつも楽しみに拝読しております。宝塚とは全く関係ないのですが、シン・エヴァンゲリオン劇場版を見てきてぼーっとしているライビュ専科の地方民です。
ウエクミは、これからどこにいってしまうのだろう。
fffの舞台を見ないで何回語るんじゃ!と言われそうですけど、ウエクミの最近のSAPAとかfff(の脚本)を見て、感想を書こうとすると、
感想にならずに、文庫本の巻末にあるような「解説」、というか、「私が考えた最強の「人類補完計画」の解釈」でも書いているような気になる。
「こんな浅い解釈で、ウエクミが見たら笑われたらどうしよう」と思ってしまう。
娯楽なのに。
知的に面白いんだけど、智が勝ちすぎて、漱石の
”智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、くつろげて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命がくだる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。
という言葉が浮かんでしまう。
桜嵐記はどうなるのだろう。
こんにちは。
今回も、とても楽しく拝見いたしました。
大劇場公演から、台詞などの手直しがあったとかを、東京公演も観劇された方から、うかがいましたので、より完成されたものを、ご覧になったのですね。
冬将軍にも征く手を阻まれた、皇帝ナポレオンが、凍てつくベートーヴェンに、再起の灯火を。
オケピ谷に転げおちた2番手さんを、天上で微笑みをたたえる仲間の中にみつけ、運命の恋人と共にいるベートーヴェンを取り囲み、唱う姿に温かみをしみじみと。
と、いう間もなく、アンコール!の響きわたる声。
大千秋楽は、ライブ配信で堪能します。
蒼汰さんの記事も皆様のコメントもほぼ同意ですが、この作品、どうしても悔やまれるのは生オケでなかったことです。
言ってもどうにもなりませんが、あのラストシーンですべての楽器がfffで音を奏でたらものすごいことになったでしょう。そのラストシーンが構想の最初にありきだったと思います。
録音になって一番悔しかったのはウエクミ先生ご自身でしょうね。
生オケと引き換えに生み出した、黄色い楽団員がオケピを埋める演出は2階席から堪能しました。これもまた凄いことだったから、逆境も逆手に取ってプラスにしてしまうウエクミ先生は、ベートーヴェンにも負けない天才ですね。
ロールヘン、私の記憶違いでなければ史実ではゲルハルトの間に子供をもうけ、ベートーヴェンよりも長生きしています。
物語としてはあくまでもウエクミ先生のフィクションなので史実にこだわるわけではありませんが、記事に舞台と同じく手紙を送った直後に亡くなった、とあったので確認まで…
事実確認をしていたためコメント承認遅くなってしまって申し訳ないです。
あれれ、一応調べたんだけどなと思って確認したところ、
おっしゃる通りで事実は手紙を貰った後にベートーヴェン が 亡くなったでした。ご指摘ありがとうございます!
毎回の更新楽しみにしています。
またまた私の独り言におつきあいください。
fffは私の中で内容は分かる!分かる!。でも最後の大団円を観てもトップさんのサヨナラ公演としては???でした。
その答えが掴めたのはライヴビューイングでのサヨナラショーを観たときでした。望海さんのあの楽しそうな表情を見た時、全てを受け入れた時に生まれた「喜びの歌」fffのラストと重なりました。
望海さんの宝塚での日々、今のコロナ禍。全てを受け入れたときのサヨナラショーの笑顔。まさに「喜びの歌」でした。
全てを受け入れる潔さ。それが「喜びの歌」です。
fffに関して変化球です。
上田先生には敢えてベートーヴェンの生涯を喜劇として描いて欲しかったです。喜劇は、笑わせようと演じるのではなく大真面目に生きていく様が少しずつ勘違いをしずれることを演じる。それを俯瞰して見ている観客はこの上なく楽しむことと思います。
全てに全力投球のベートーヴェンの生き様は充分に喜劇として描くことができ、観客を笑顔にし力づけることが出来ると思います。
蒼汰さん、いかがでしょうか・・・。
私個人としましてはfff、シルクロード共に最高に最高!と思って日々浮かれていましたので前回の「辛口編へ続く」にビクビクしながら読ませていただきました。
想像していたよりは甘めで(笑)
中辛くらいですかね(笑)
冷静な視点からの感想を拝見できてかえって嬉しかったです。
上田先生についてはサパの頃から何となく感じてはいたのですが「ウエクミらしい作品だね」と言わせないように研鑽を積み、進化したりあえて退化してみたりを繰り返しているのかなあ、とも思いました。
ひとつの地点に留まることを良しとしない、という気持ちが飛び抜けて強いのではないかと。
こんなコメントをしておいて桜嵐記が「めっちゃウエクミっぽい」作品の可能性は十二分にありますね。その時はどうぞ笑ってやって下さい(笑)
割と多くの人が2度目3度目以降に理解できた、と言われている通り、退団公演という本来なら8割〜9割リピーターで埋まることを見越しての難易度だったのではないでしょうか。エンタメとして手放しで絶賛できるものでもないですが、宝塚歌劇団の座付きとしての特権を最大限活用し、またそれでしかできない手法かなとも思います。
どういう着地点であれ「舞台上の組子全員が溢れんばかりの笑顔で幕が降ろせる」という結末は多くの雪組ファンが待ち望んでいたものでしょうし、あの場面を観ると不思議と勇気と元気が湧いてくるのですよね。
この公演が無事にゴールまで辿り着けることを祈りながら、まだ来ないでー!というジレンマと戦いながら、粛々と4/11に臨みたいと思います。
こんにちは。
私は未見なのでなんともコメントしづらいのですが…
ファントムからのONCEからの大作上演を経てからの望海さんの集大成だったら宝塚の枠を超えたい!とか、昨年SAPAでの激重メッセージ作品で何か手応えを掴んだのでしょうかね…。
心して観ないといけないなと思いました。